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2005年 06月 21日
2005/06/21 (火) 静岡交響楽団
昨日、静岡交響楽団の役員会があった。これからの、楽団の運営や、コンサートの企画等、さまざまな問題が会議で検討された。 静岡交響楽団は静岡県初のプロオーケストラであるが、まだそれほど演奏会の回数は多くない。既存のオーケストラに比べれば、まだまだ生まれたなのであるが、このプロオーケストラが静岡の地に誕生したのは大変に意義のあることなのである。 静岡県というのは東海道で最も縦に長く伸びる地形を有し、東京から関西につながる日本の重要な地域なのである。 この県は昔から、アマチュアの演奏家たちが盛んに活動はしていたものの、プロの交響楽団は存在していなかった。 静岡はその昔、徳川家康が隠居の地に選んで駿府城を建てただけあって、気候は温暖、景観は海あり山ありの風光明媚、食は新鮮な魚介類に恵まれ生活する上では申し分のない土地である。 しかし、そこに華開く文化、芸術という点ではどうであったか? 徳川時代、金沢の城主、前田公は江戸幕府の睨みをかわすべく、武力の整備ではなく、文化の興隆に力を入れて街づくりをしていった。 その結果、金沢には多くの職人たち、芸術家たちが誕生し、日本有数の文化の薫りあふれる都市が出来上がり、それは現在の金沢の礎になっている。 現在は、アンサンブル金沢という日本を代表するプロオーケストラを持ち、世界から多くの音楽家たちが金沢を訪れている。 対照的に静岡は、家康の傘の下に守られ、保守的な風土を強くしていき、そういった意味では大きく立ち遅れていく。 神奈川、愛知、京都、大阪と東海道の大都市がいずれもプロのオーケストラを持ち、多くの市民に文化の潤いを与えているのに対し、静岡はいまだに他地域からの演奏家の力を借りてしか文化活動が出来ていない。 地元にプロオーケストラを持たないというのは、その地に音楽の地場産業が無いということなのである。 すなわち、静岡で育った音楽家が、故郷に戻って生計を立てることも出来ないということなのだ。 この事は、現在の政治家たちの貧困な文化レベルがもたらした世相であるとしかいいようがないが、これからの時代を考えるとそうも言っていられない。 心ある人たちの粉塵の努力によって、遅々としてではあるが、この分野での改革もなされようとしている。 ある偉大な哲学者は、「芸術は人間性の究極の昇華である」と言い切った。 多くの心豊かな青少年を育てるためにも、この改革の手を緩めてはならない。 その意味で「静岡交響楽団」の使命は重大である。 #
by matocello
| 2005-06-21 21:00
| 音楽
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